彩の国マラソン 10kmに参加してきました。

- わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。(テモテへの第二の手紙 4章7節)

 

僕が走り始めたのは2007年。かれこれ10年近くになる。でもここ2年ぐらいはかなり走ることに後ろ向きになっていた。以前はフルマラソンにも時々出ていたのに、めっきりレースにも出なくなってしまった。その間に受洗し、日曜日は教会へ。レースは大抵日曜日なので、ますますエントリーもしなくなる。レース参加という目標がなくなると、ますます走るためのモチベーションも減ってしまうという悪循環から抜けられない状態が続いていた。2週間か3週間に一回走るか走らないか。

 

夏前ぐらいだろうか。妻が教会音楽科に通っている某キリスト教系大学の職員の方が、クリスチャンのランナー仲間の集いをしていることを耳にした。中には牧師もいるという。へー、礼拝は休みにしてレースに出るのかなと思ったら、土曜日とか、日曜以外の祝日のレースに参加するんだそうだ。妻を通じて、機会があったら参加したい旨を伝えておいた。

 

そんなこんなで、昨日土曜日の彩の国マラソンにエントリーし、参加してきました。以前僕がよく参加していたいくつかのレースとは違い、参加者はそんなに多くないアットホームな大会。戸田にある彩湖に一周5kmのコースを設定し、そこをぐるぐるまわるスタイルで、フルマラソン、30kmの部もある。僕はいまはとてもそんな距離を走れる状態にないので、10km。今回のクリスチャンランナーは全部で7名。所属教会も住んでいる地域もバラバラ。年齢層もバラバラだ。うち1名がフル、もう1名が30kmで、残りは僕も含めて全員10km。それぞれがそれぞれの目標に向けて頑張って走っていた。特に長距離のお二人はバリバリのシリアスランナー。僕だけは「練習のつもりで」なんて言っていたが、結果としては練習以下ともいっていいタイム。全然体が思うように動かないし、1kmごとの距離表示が来るのがやたらと遅く感じる。足が前に出てくれない。気持ちばかりは前に進みたいのだけれど、足はまったくついてこない。まあ当然だ。ここしばらくはまったく走っていなかったわけだし、タイムを測るような練習もしていなかったし、そんな状態でまぐれで良いタイムが出るほど、ランニングというのは甘いものではない。

 

でも久々にレースに出られたこと、また信仰を同じくする仲間たちと一緒に走れたことというのは、本当に楽しかったし、とても良い経験になった。走り終わって、芝生の上で皆で軽食をとり、談笑し、最後は共に祈って解散した。秋晴れの素晴らしいレース日和で、何もかも恵んでいただいた気がしている。

 

冒頭に掲げた聖句、パウロがランナーだったかは知らないけれど、走るべき行程を走りつくし、というのはランナーならピンと来る。レースの途中で歩かざるをえなくなった時の、DNFした時の挫折感とかね。最近の僕は、まさにレースの途中から歩いているランナーみたいだった。でも今回のレースをきっかけに、また走りだそうと思えるようになった。この機会を与えてくださった主に感謝して、この記事を終えたい。